セラピー回顧

カウンセラーにも話せないことは誰に話せば良いんだろう。そう考えると思いつくのはブログしかない。今回のセラピーで感じたことを自分の中で整理したい。誰の事も責めるつもりはない。
ただ自分の心の整理のため。他に何か願うことがあるとしたら、似た悩みを持った誰かが偶然読んで、こんな奴もいるんだな、とほっとしてくれたりなんかしたら嬉しいなと思う。
(※カウンセリング・セラピーなど表現にバラつきがありますが特に意味の違いはありません…)

普段カウンセリングを予約するときは明確に話したいことがあるとき、そしてそれを冷静に説明出来る程度に調子が良いときだ。しかし今回は少し違った。
昨年11月上旬から心身の調子は明らかに下向きだった。10月までは仕事の面接に遊びに、調子は上々だったので余計に落ち込んだ。今回の波は長いぞ、と。12月に入って多少マシにはなったものの絶好調とまではいかず、100点中40点くらいの日々を過ごしていた。昼夜逆転しているので直さなくてはならなかった。

正月休みに家族が家にいることで、生活のリズムを正すにはうってつけだと思っていた。が、30日に軽い胃腸炎になり、心まで一気にまた弱ってしまった。胃腸炎のせいなのか、ただ単に悪くなったのか、年末に苦手意識があるのか。このままズルズルとうつ状態を引きずってしまいそうだったので、一度カウンセリングを受け、負のループを脱しようと思ったわけだ。

調子が最低レベルのときにカウンセリングを受けたことはない。最低とは三日も風呂に入らず、歯も磨かず、一日16時間ぐらい眠っている状態のことだ。ほとんど食欲も湧かず、トイレに行く気力もない。この年末年始はそんな感じだった。そんな姿をカウンセラーや医者に見せたことはなかったので、そのことを話すとよく驚かれる。早く立ち直るためにも、この最低な状態のままカウンセリングを受けてみることで、新しい発見があるのではないかと思った。

着いてまず話したことはこの近況だった。メールでの相談はあったが、カウンセラーと直接会うのは約半年ぶりだった。

働いてないけど成長は成長

それから10月下旬のアルバイトの面接のこと、採用はされたが考えた末辞退したことを話した。(このことは以前の記事「書きかけの日記」に書いた)
面接の際、ありがたいことではあるのだが応募したよりも良いポストを用意され、(短期の倉庫のポストに応募したのに、長期で接客&契約社員のポストに変わった)グイグイ押し切られそうになった。自分の能力を認めてもらって嬉しかったが、面接官からは、喉から手が出るほど人手が欲しい、危機的状況なのだと聞かされた。慢性的な人手不足だけれども決して人件費は上げようとしない、アルバイトを責任者の立場にしてやりがい搾取的だった以前のバイト先に似ていることにこのとき気づいた。両方とも大企業だからアルバイトの教育システムや労働環境が似ているのは今思えば当たり前だったのだが。
短期のポストで応募したのに、ここに入ったら今みたいに押し切られてやめさせてもらえなそうだな、自分も情が湧いてズルズルと付き合ってしまいそうだな、とそんなことまで考えた。

その場で採用されたが、「予想もしていなかったポストなので一日考えさせて下さい」と伝えて帰った。そう言えたのは自分の中で進歩だった。自分の思い違いで予想していたより通勤が大変そうだったのも気にかかった。最初は気合が入っているから大丈夫だが、だんだん疲れてきたらこの通勤時間が大きな負担になるであろうと予想出来た。いざ働くことが現実となると、現在の自分に合っていない、キャパを越えたところに応募してしまったのだと気づいた。続けることは難しそうだと思ったので申し訳ないが辞退させてもらった。

今までの私は仕事のことになるとどうしてもNOと言えなかった。NOと言ってはいけないと思っていた。だから無理やり責任者の立場にさせられたし、責任者になってしまったがゆえに人が足りなければ無理をしてシフトに入った。真面目に仕事をしたい気持ちはあるのだが、NOと言えないゆえに上司からの要求と自分のキャパとのギャップがどんどん大きくなり、最終的にしんどくなって潰れてしまった。

また自分の経歴に自信がなかったため、誰も雇ってくれないのではないか、必要としてくれないのではないか、という不安が強かった。その上まだ「体力に不安がある」「精神的に疲れた」などと弱いところを見せたら迷惑がられたり、使えない奴だと思われたりするのではないかと怖かった。

しかし今回は嫌な奴迷惑な奴と思われても良いから、NOと言おうと思った。面接を受けてみたら思っていたのと違った。危険な環境に自ら飛び込んで行くことはない。その上で自分の非は謝ろうと。家族や友人間では出来るようになっていたが、仕事の関係でそれが出来たのは初めてだった。面接官の方には余計な時間を使わせてしまい大変申し訳なかったが、自分の中では大きな良い出来事になった。仕事の条件がフェアなものか、今の自分に出来るものか、ようやく判断出来るようになり、違和感を感じたら離れられるまでに成長したのだと思った。これについてはカウンセラーも同意して喜んでくれた。

アルバイトである程度働き方は自由に選べるから、自分の状態をしっかり伝えること、しんどいときはしんどいと伝えること。いきなり潰れて消えてしまうよりも、日ごろからしっかりコミュニケーションを取っておくことが雇い主への思いやりになることなどを話し合った。上手な伝え方も習った。

辞退したあとも数件申し込んだが、仕事が決まるには至らなかった。辞退したことはポジティブに捉えられていたが、自分は本当に仕事を出来る状態まで回復しているだろうか、と不安になった。そしてそのままネガティブ思考に陥った。また仕事中うつ状態に逆戻りしたらどうしよう…前バイトしてたとき先が見えなくてつらかったな…短時間で働きつつ回復を待っていたら悪くなる一方だったな…等々。「こうなったらどうしよう」という不安は堂々巡りで不毛なのは分かっている。分かっていてもそれを抜けられないのが不調なときなのだ。
しかしそろそろそのネガティブも振り切れそうだ。不安を感じつつも一歩ずつ前に進んで行きたい。

家族

次に話したのは家族のことだった。私が今までカウンセリングで話してきたことはほとんど家族のことだから、今回も話しておきたかった。
最近父が、素人の女性がキックボクシングに挑戦するテレビ番組を見て泣いた、と話すのを聞いて「彼女に共感するなら、なぜ私のうつや人生のことは理解しようとしてくれないのだろう」と思った話をした。すべてを理解してほしいとは思わない。ただ私の心の中をもう少し知ろうとしてくれないだろうかと。私の話を遮らず、決めつけず、最後まで聞いて「あんたはそう思うんだね」「そうなんだね」と受け止めてくれたらどんなに良いだろう、と。
今まで散々関係を改善しようとトライして上手くいかなかった。もう諦めようと随分前から思っているが、まだ憧れはある。だってそれが叶えばこんなに孤独を感じなくて済むじゃないか。

しかしその思いを私は父に言わなかった。今の父に伝わると思えなかったし、伝わらなかったとき傷つくのが嫌だった。もう家族のことでエネルギーを使いたくなかった。
相反するようだがそのとき「理解されてたまるか」という気持ちもあった。これまで散々苦しめられてきたのに、心を開いてたまるか。自分の心の一番大事な部分を見せるものか、と。

家族に対して今私が抱く気持ちはドラマカルテットの名台詞の通りだ。
「愛してるけど、好きじゃない」
しっくりくるように言い換えるとこうだろうか。「大切に思うけど、好きじゃない。好きでいたくない。」以前だったら憎悪が100だった。今は大切に思うと認められる。けれど精神的にはまだ少し離れていたい。

カウンセラーの答えは「理解されたいのなら伝えるしかない」というものだった。こう言われることは分かっていたし、私自身答えは求めていなかった。ただ吐き出したかったのだ。カウンセラーはこうも言った。
「今聞いたことは家族関係の問題というより同居人としてのストレスの範疇だ。それが嫌なら離れるしかない。うつ状態のあなたを家に置いてくれる家族には感謝すべきだ。」
おや…?なんか嫌な答えだな、と思った。まあ嫌と感じるということは図星なのだろう、とそのときは思った。

改めて冷静に考えるとこの言葉は必要だったのだろうか。家族関係について大体の答えは出ているし、精神的自立も出来てきている。しかし全く何も感じなくなったわけではない。自分の望む関係でいられないことが悔しいし、諦めきれない気持ちが出てきてときどき迷ってしまう。それをただ吐き出したかっただけだった。「感謝すべき」という言葉が心理学のプロから発せられたのが、妙に引っかかった。

カミングアウト後・新しい関係

ブログ内でという形ではあるが、パンセクシャルだとカミングアウトして凄く楽になった。日に日に開放されていっている。
思えば学生のときから「自分が男子だったらこの子と付き合いたいのにな…」と考えることがあった。今の自分のままでもその子と付き合うことは可能かもしれないなんて、当時は考えもしなかった。友達から「あんたが男子と付き合うの想像出来ないな」と言われてムカついたこともあったし、母から唐突に「あんたがレズビアンでも受け入れるよ」と言われたこともあった。思えば周りの人の方が何かを感じ取っていたのかもな、と思う。まあそれらの発言は偶然かもしれないのだが。

自分の好きだった女性の芸能人も、今思うと明らかに恋愛的な憧れが入っていたと思う。エリオット・ペイジや「アメリカン・アイドルS9」のクリスタル、クリステン・スチュアート、SATCのミランダ。子どもの頃、モーニング娘のなっちとよっしーを好きだった時点からもう自分のゲイネスは現れていたじゃないですか…と気づいたときは笑ってしまった。たくさんヒントはあったのになぜ今まで気付かなかったのだろうと思った。

以前は自分が誰かとパートナーシップを築くなんて無理だと思っていた。けれど今はそれに対して希望を持てるくらいには成長した。そして実際に一歩を踏み出した。付き合うとかの関係はないけれど、新しい良い出会いがあった。今まで自分の心と散々向き合ってきたが、ようやく新しい関係に関心が向くまでの段階になったのだな、と思う。

カウンセラーにはカミングアウトして楽になったこと、今後の可能性に希望を持てるようになったことについて、大まかに話した。

セクシュアリティ診断

これはカウンセラーに話していないのだが、最近ネットでセクシュアリティ診断をしてみてなかなか面白かった。
まずシスジェンダーの女性であること。性的指向は「バイセクシャル」。自分自身パンとバイどちらにも当てはまるなと思っていた。定義的にはバイなのかもしれないが、自分でパンセクシャルの方がしっくりくるからそう言っているし、それで良いと思う。
また「デミセクシュアル」という性的指向もあることが分かった。「強い信頼関係が愛になる」「普段はあまり性的欲求を抱かず、相手のことを深く知ったときに初めて欲求を抱く」「身体的特徴に惹かれることがあまりない(身体のタイプ、このパーツが好きなどがない)」という特徴を読んでなるほどなと思った。合っている。

恋愛指向は「クォイロマンティック」との特徴があるらしい。「恋愛と友情の違いが判断出来ない・しない」「恋愛感情や性的魅力をその他のものと区別する必要性を感じない」と。100%その通りではないが確かにそういう節はあるのかもしれない。名前の付く関係・感情がすべてではないと思う。恋人の肩書きに固執したり、「恋人だから○○して当たり前」みたいな考えに振り回されるのは無益だと思う。愛と尊敬があれば、その関係にどんな名前が付くかはどうでも良いじゃないか、と。当てはまるとしたらそういうところだろうか。

性表現は「ノンバイナリー」これもまあまあ分かる。一時期体型に合うし人から褒められるからとワンピースやAラインのスカートを着ていたときがあった。好きと似合うは違うと諦めて好みでないコンサバっぽい服を着ていた。が、だんだん居心地の悪さを感じるようになった。そのときの気持ちをそのまま書くと「女っぽすぎる」「女装してるみたいだ」と思った。本当はパンツや、あまり女性性を感じさせない直線的な服が好きだ。「似合う」よりも「好き」や「心地良い」を追求するようになって、自然に今の性表現に落ち着いたように思う。

これらの診断結果を見て感じたのは安心だった。自分っておかしいのかな、普通じゃないのかな、と感じていたことが改めて肯定されたような気持ちになった。
自分は性的欲求や興味が薄い方だ。セックスを自分事として捉えた年齢も遅かった。なぜ自分は性に対してこんなに淡泊なのだろう、周りから遅れているのではないか、と気になっていた。しかしこの診断結果によるとそれらはおかしいことではなかった。ただそういうセクシュアリティだっただけ。性的欲求を抱くまでのハードルが他の人より少し高いだけだった。自分のそういった性質にもっと自信を持っても良いのだなと思った。

そう考えるとセックスフレンドやワンナイトが自分には起こり得ないこと、恋バナでよく聞かれる「好きなタイプ」も何もないこと(昔は「筋肉のある人が好き」「年上の方が良い」なんて言っていたが今は全然ピンと来ない)、フェチやドキっとする仕草みたいなものも思い浮かばないこと、も腑に落ちる。
今までの恋愛の迷走具合も当然だ。「恋とはこうでなくてはならない」みたいな思い込みが強かったし、それが全くもって自分に合っていなかった。なんだ、ただリラックスして、自分のままでいられる相手と一緒にいれば良かっただけじゃないか。

このままで良いんだ。こうやって日に日に開放されている。どんどん生きやすくなっている。

さよならカウンセラー

うつと共に生きてもう八年になるのだが、未だに対処法の正解が分からない。悪い状態が続くと特に不安になる。どれだけ検索してみても、早寝早起き、日光を浴びて軽い運動、栄養バランスに気を付けるetcそういった基礎的なことしか載っていない。それが出来ないときは出来るようになるまで屍のように横になっているしかない。

自分なりのルールや克服法はある。それでも不安になるのだ。これで本当に合ってるの?私休み過ぎてない?だってこんなに長い間克服出来ないのだから…。そういう話をした。
今までのカウンセラーたちにもコツのようなものはないか聞いてきたが、有力な答えは得られなかった。この日の私は不調が続き特に焦っていた。私の話はカウンセラーには「この対処で良いですか?合ってますか?」と承認を得たがっているように聞こえたらしい。私の話を遮って話し出したカウンセラーの口調は威圧的だった。内容も正直思い出したくもないくらい嫌だった。どうも話を誤解しているようだったので、訂正すると「あなたの話は“でも”や“だけど”が多いですね。相手の話を一旦受け止める“そうですね”が足りない。」と言われカチンと来た。それはあんたが決めつけて一方的に喋るからでしょうが。カウンセラーは誤解に気付いてからもそれを認めず、謝罪もなかった。その前から何となくこの日のセラピーに雑さを感じていた。家族の話のときの「感謝すべき」もそう。私の話をカウンセラーの望む結論に無理やり結び付けられているような気がした。

カウンセラーは40~50代くらいの男性だ。以前から信頼はしているけれど完璧ではない、と思っていた。前回のセラピーで子どもの頃受けた性被害のトラウマについて話したら「それはあなたにも別の対処法があったのではないか」と二次被害に遭わされた。たった5、6歳の子どもが大人の男に対して何が出来たと言うのだろう。Metooフェミニズムムーブメントに勇気を貰ったことについても話したら「女性たちは“社会に黙らされていた”と言うが自分の意志で黙っていただけだ。それをただ話し出したのがMetooだ。」と見当違いも甚だしいことを言っていて、がっかりした。今思えばこのときにこの人から離れるべきだった。

そんなにひどいことを言われてもまたセラピーに行ったのは、他の話題において信頼があったからだ。性被害については別のカウンセラーを雇っていつか話せば良いと思った。このカウンセラーとは二年半ほどの付き合いになる。アダルトチルドレンに特化した人で当時の私のニーズにぴったりだった。初回のセラピーでやった催眠療法がすごく良くて、新しい気付きがたくさんあった。うつの混乱期からここまで私の回復を手助けしてくれたのはこの人だ。アダルトチルドレンという問題の根本解決を促してくれ、それまでの重荷を降ろしたかのようにみるみる心は軽くなった。

この二年半で本当に自分はよく学び成長したと思う。健康的な人間関係についてセラピーで学んだがゆえ、皮肉なことにそれを教えてくれたカウンセラーとの関係を一旦ストップしなくてはと思うに至った。

セラピーが丁寧なときと雑なときとの波があること。セクシズムや性暴力、フェミニズム、LGBTQ+の権利に疎いこと。「アンガーマネジメント」や「マインドフルネス」の説明が適当でズレている。自分の気に入らない話になると途端に威圧的になり、クライアントの話を聞かずに一方的に諭そうとしてくる。「私ははっきり言うので」とクライアントを刺激するような直接的な物言いをする。

カウンセラーはクライアントの命を背負っていると思う。威圧的な態度や、直接的な否定の言葉は問題ではなかろうか。例えクライアントが間違った考え方に陥っていても、指摘の仕方ってものがあるのではないか。少し前に『Wanderlust』というドラマの、すごく慎重で穏やかなセラピーの雪解けシーンを観たので、余計今回のカウンセラーの威圧的な態度が気になった。私は傷ついたし、怒りも湧いた。誰にも話せないことをプロに話しに来ているのに、無下にされたダメージが大きかった。
とりあえず次はこの人のところには来ない、と思った。自分がセラピーに求めることや、セラピーで話したいことも変わってきているのだなと思った。

最後に

最後の方は感情的に書いてしまったかもしれない。分からない。この出来事で少し自信を失っている。
誰にも話せないことを話しに行っているカウンセラーにフラストレーションを感じたとなると、もう吐き出す場所がなかった。とりあえず次は女性の穏やかなセラピストを探そうと思う。また改めて冷静に考えてみたら考えも変わるということはあるかもしれない。ひとまず今回はここまで。